櫻井暁美プロフィール

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※インド総領事 I.V. CHOPRA 1995年6月


櫻井 暁美(Akemi SAKURAI)

徳島県出身。インド舞踊集団・櫻井暁美とギータンジャリダンサーズ主宰。名古屋・毎日文化センター、大阪・毎日文化センター(2007年5月-6月)、徳島新聞カルチャー「インド舞踊クラス」などの講師。インド舞踊塾・ギータンジャリ塾長。インド芸術文化同好会「つなぐ文化・ギータンジャリ友の会」世話人代表。

7歳より日本舞踊、モダンダンスを学ぶ。故音羽菊実、菊生、藤間紋寿郎、花柳千代の各氏に師事。日本大学・芸術学部卒業。1965年~1970年までインド政府給付留学。


1967年 5年間暮らした大学の女子寮 Sarojini Deri Hall にて

1967年 5年間暮らした大学の女子寮 Sarojini Deri Hall にて

留学中、夏休みに参加した留学生カシミールキャンプにて

留学中、夏休みに参加した留学生カシミールキャンプにて

1967年 在学中「ラーマーヤナ」舞台 アハーリヤの役

1967年 在学中「ラーマーヤナ」舞台 アハーリヤの役

1968年 オリッサ州 舞踊学校カラーヴィカシュ・ケンドラにて。

1968年 オリッサ州 舞踊学校カラーヴィカシュ・ケンドラにて。夏休みを利用して参加したオリッシイ・ダンス集中コース。日本人の最初のケルチャラン・モハパトラ師の生徒となる。写真中央は大師匠 故ケルチャラン・モハパトラ。1967年の大統領賞を受賞したオリッサ舞踊の達人。写真左が櫻井暁美。右隣でパカワジ伴奏をしているのが若き日のラマニ・ランジャン・ジェナ師(現デリーにて多くの弟子をもつ著名な師匠日本人の弟子も多い)。踊っているのは、バラタ・ナティヤムダンサーのメナカ・タッカー(以後カナダで活躍)。

※参考記事「グル・ケルチャランと私」


在学中、専門のバラタ・ナティヤムの他、東インド古典舞踊オリッシィを故ケルチャラン・モハパトラ師の集中講座に2期参加(オリッサ州の学校カラヴィカシュ・ケンドラとデリーのヌリッティヤ・ニケタン)、1969年にはデリーのバラティヤ・カラ・ケンドラにて別の流派のオリッシィを学ぶ。
また、卒業後、元バロダ大学教師のプラフラ・オザ先生からカタックの手ほどきを受ける。


故アンジャリ・メール師

故アンジャリ・メール師。バロダ・マハラジャ・サヤジラオ大学舞踊科主任。櫻井暁美の師匠。


1969年2月23日 アランゲトラム

アランゲトラム

バロダ・マハラジャ・サヤジラオ大学講堂にて

バロダ・マハラジャ・サヤジラオ大学講堂にて

主任の故アンジャリ・メール師から祝福を受ける

主任の故アンジャリ・メール師から祝福を受ける。
右端は故マハラジャ・ファテシンラオ・ガエクワード。

写真左:観客席 中央のマハラジャの隣に母、井下テルコの姿が見える 写真右:在バロダ日本人会代表の牧野夫人から花束を贈呈されている 右端は拍手しているのが大学総長とその左隣がマハラジャ・ファテシンラオ

写真左:観客席 中央のマハラジャの隣に母、井下テルコの姿が見える
写真右:在バロダ日本人会代表の牧野夫人から花束を贈呈されている。右端は拍手しているのが大学総長とその左隣がマハラジャ・ファテシンラオ


1969年5月 ボンベイにてソロ公演、他マドラスにてソロ公演

1969年5月 ボンベイでの初ソロ公演 パトカーホールにて

1969年5月 ボンベイでの初ソロ公演 パトカーホールにて。ニュース映画でインド全国に放送された。

1969年5月25日 チーフゲストの女優のヴァイジャヤンティマラから花束を贈呈されている

1969年5月25日 チーフゲストの女優のヴァイジャヤンティマラから花束を贈呈されている。写真中央は人見鉄三郎総領事夫人。

1969年 雑誌掲載のため撮影した和服姿

1969年 雑誌掲載のため撮影した和服姿。当時のボンベイ総領事、人見鉄三郎夫人の着物を拝借。

1969年 故アンジャリ・メール先生

1969年 故アンジャリ・メール先生。大学での講演後の帰途にて心臓発作で倒れる。これが最後の写真となった。

1969年11月 バロダM.S.大学 学位記授与式

1969年11月 バロダM.S.大学 学位記授与式

1969年 帰国の少し前に、日本の新聞記事(東京新聞、中日新聞他)のためデリーの寺院廃墟での撮影

1969年 帰国の少し前に、日本の新聞記事(東京新聞、中日新聞他)のためデリーの寺院廃墟での撮影。共同通信デリー特派員 故石原栄夫氏撮影。


バロダ・マハラジャ・サヤジラオ大学・舞踊科(バラタナティヤム)卒業。


帰国後は正統派インド舞踊の普及のために情熱を傾け、「観客を育てること」と「踊り手を育てること」を2本の柱としてインド舞踊研究会(現インド舞踊塾ギータンジャリ)を設立。
前後して、一般の人を対象にしたインド文化同好会「サロン・ド・ギータンジャリ」を交野市を拠点に設立。8年後、芸術文化を主とする組織に改正し、拠点をドーンセンターに移し「ギータンジャリ友の会」とする。
以来、世話人代表として種々の企画・運営ボランティアを続けている。


帰国後、初のソロ公演パンフレット

帰国後、初のソロ公演パンフレット

1972年5月26日 AKEMI INOSHITA 「神秘のインドを踊る夕べ」

[パンフレットヘのお言葉]

・故石原栄夫(当時共同通信画外部長、元ニューデリー特派員)
 ・会場での司会 山下高明(当時NHK解説委員、元ニューデリー市局長)
・紹介 アフタブ・セットゥ(当時三等書記官、後年インド大使として再来日、現慶応大学客員教授)
・会場装飾 アルボナ床絵 小西正捷(元立教大学教授)

錚々たるお顔ぶれ、私の東京リサイタルのために率先して協力下さり、一生忘れられないスタートを切ったのでした。


1981年 たった一人ながら念願の「ギータンジャリ」を初めて使い、個人のインド舞踊活動を公にしようと決意のあらわれ。
定期的な教室は開催していない。


1986年3月 オリッシィの師匠、故ケルチャラン・モハパトラ師と、音楽伴奏者、旧知の踊り手クムクム・ラル女史のメンバーをお招きし、レクチャー、デモンストレーション開催。
大阪市西区江戸堀「盲人文化情報センター」スタジオ


1986~1987年 交野市の自宅にてクムクム・ラル女史をお招きオリッシィ特別集中講座を開講


1987年7月~10月 インド研修旅行 

ギータンジャリ・インド舞踊研究会として定期的なバラタナティヤム教室開始
遠くから地方の生徒が通い始める


オリッシィを披露する櫻井暁美

オリッシィを披露する櫻井暁美

1988年2月20日 徳島ベルモニーパレスにて

徳島の文化を進める会主催「インドの心にふれる夕べ」

インドの3大古典舞踊、バラタ・ナティヤム、オディッシィ、カタックの解説と実演
チーフゲスト:モハンインド総領事閣下
ゲスト:スシュマ小俣(シタール)、小室真理(タブラ)


ムリナリニ・サラバイとダルパナ舞踊団公演パンフレット

ムリナリニ・サラバイとダルパナ舞踊団公演パンフレット

写真左:ムリナリニ・サラバイ女史

写真左:ムリナリニ・サラバイ女史

1988年6月 世界的なインド舞踊家ムリナリニ・サラバイ女史を招き レクチャー、デモンストレーション開催

大阪市東区法円坂・大阪市立中央青年センター
ABC朝日放送「おはよう朝日です」出演
交野市立第3中学校、鳴門市大塚製薬ベガホール(徳島日印協会)など


門下生8人のアランゲトラム

1991年12月13日大地の響き インド舞踊へのいざない 西野真美 福田真紀 於:テイジンホール 写真右端は主賓のヴァルマ、インド総領事ご夫妻

1991年12月13日大地の響き インド舞踊へのいざない
西野真美 福田真紀 於:テイジンホール
写真右端は主賓のヴァルマ、インド総領事ご夫妻

1997年 紗佐桃世 橋本奈以美 西山陽子 於:ドーンセンター 最初の踊りの出番を待っている3人

1997年 紗佐桃世 橋本奈以美 西山陽子 於:ドーンセンター
最初の踊りの出番を待っている3人

1998年 巽知史 今田貴博 有田幸恵 於:吹田メイシアター小ホール

1998年 巽知史 今田貴博 有田幸恵 於:吹田メイシアター小ホール


1992年10月 オリッサ州プバネシュワル のケルチャラン・モハパトラ師宅にて 写真左からケルチャラン・モハパトラ師、サンジュクタ・パニグラヒ、 ケルチャラン師夫人櫻井暁美、C.V.チャンドラシェーカー師、 イレアナ・チタリスティ、ジャヤ・チャンドラシェーカー夫人 [超著名な二人は故人になり貴重な一枚の記念写真]

1992年10月 オリッサ州プバネシュワル
のケルチャラン・モハパトラ師宅にて
写真左からケルチャラン・モハパトラ師、サンジュクタ・パニグラヒ、
ケルチャラン師夫人櫻井暁美、C.V.チャンドラシェーカー師、
イレアナ・チタリスティ、ジャヤ・チャンドラシェーカー夫人
[超著名な二人は故人になり貴重な一枚の記念写真]

1993年 インド総領事主催のパーティにて 写真左から3人目:溝上富夫氏、櫻井暁美、村上公彦氏のインド留学同期生の3人

1993年 インド総領事主催のパーティにて
写真左から3人目:溝上富夫氏、櫻井暁美、村上公彦氏のインド留学同期生の3人

1993年 インド舞踊塾ギータンジャリ スタジオ「ロバの家」

1993年 インド舞踊塾ギータンジャリ スタジオ「ロバの家」

1994年 タゴールの詩「ギータンジャリ」とバラタナティヤムによる創作

1994年 タゴールの詩「ギータンジャリ」とバラタナティヤムによる創作


基礎レッスンを重視した後進の指導と並行して、各種公演、講演、ワークショップ、インドより舞踊家の招聘と交流などを精力的にこなし、「インド舞踊へのいざない」と「インド舞踊事始め」のシリーズで定期的に舞踊公演と理解講座を催し、インド古典舞踊を多側面よりとりあげ紹介している。


1996年 オリジナル舞踊劇「黎明」 自身の半生記を舞台化

1996年 オリジナル舞踊劇「黎明」
自身の半生記を舞台化


またインド舞踊を通してのチャリティにも余念がない。
阪神淡路大震災をはじめ、インド西部震災復興、インド洋津波、アジアへ井戸を贈る支援、インド・カドレワド村病院建設、ドン・ボスコ子供希望の家支援など、世界の子供救援のため、チャリティ公演等を企画、主催、また出演。
一般の人々がインドの芸術などを楽しみながら同時に社会に貢献できる機会を作ることで広く賛同を得ている。


1997年 神戸市北区枝川仮設集会所を訪問 (社)アジア協会アジア友の会のボランティア活動に協力

1997年 神戸市北区枝川仮設集会所を訪問
(社)アジア協会アジア友の会のボランティア活動に協力


古典定番曲の習得だけでなく、自ら脚本を書き、演出・振り付けを行い、オリジナル作品を舞台化することに、情熱を傾けている。
<主なオリジナル作品>
「花でつづる日本の四季」’90 「四つの門」’94 「黎明」’96 「天の川ものがたり」’98 「舞踊の誕生」’99 「森の伝説」2005 など


1998年 「天の川のものがたり」インド舞踊による七夕伝説

1998年 「天の川のものがたり」インド舞踊による七夕伝説

1998年 スタジオ「ロバの家」町内 交野の満開の櫻の下で アランゲトラムを目前にした 3人の門下生と記念撮影

1998年 スタジオ「ロバの家」町内
交野の満開の櫻の下で
アランゲトラムを目前にした
3人の門下生と記念撮影


芸術活動としての公演では、インド古典舞踊を中心に、民族舞踊やオリジナル舞踊劇を手がけ、日本社会でインド舞踊の道を開く努力が、高く評価されている。インド人との共演の先達。
近年、インド舞踊の視野はかなり広がり、門下生も各地で活躍を始めている。


1999年 (社)アジア協会友の会 20周年記念ウォーカソン関連行事 東京・青山 本田技研本社 ウェルカムプラザ

1999年 (社)アジア協会友の会
20周年記念ウォーカソン関連行事
東京・青山 本田技研本社 ウェルカムプラザ

1999年 「インド舞踊華絵巻 第三巻」クレオ大阪東 当時のインド総領事夫妻 アンジェナ&アショク・フマール夫妻から花束をいただく

1999年 「インド舞踊華絵巻 第三巻」クレオ大阪東
当時のインド総領事夫妻
アンジェナ&アショク・フマール夫妻から花束をいただく

1999年 櫻井暁美 アランゲトラム30周年記念公演 「バラタナティヤムの伝統と創作」 インド舞踊へのいざない パート14 於:大阪天満橋ドーンセンター

1999年 櫻井暁美 アランゲトラム30周年記念公演
「バラタナティヤムの伝統と創作」
インド舞踊へのいざない パート14
於:大阪天満橋ドーンセンター

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2000年 オリジナル作品「舞踊の誕生」 生徒たちの出演場面

2000年 オリジナル作品「舞踊の誕生」
生徒たちの出演場面

2001年 ヴァルマ インド総領事邸にて ホームパーティに招かれたインド関係者 写真後列左から:ヴァルマ総領事、セトゥインド大使夫人、 C.V.チャンドラシェーカー師、櫻井暁美(和服)、セトゥインド大使、 写真前列:SKタゴール、古坂鉱一の各氏

2001年 ヴァルマ インド総領事邸にて
ホームパーティに招かれたインド関係者
写真後列左から:ヴァルマ総領事、セトゥインド大使夫人、
C.V.チャンドラシェーカー師、櫻井暁美(和服)、セトゥインド大使、
写真前列:SKタゴール、古坂鉱一の各氏

2001年 生徒たちと クレオ大阪西 写真中央:白サリーが櫻井暁美

2001年 生徒たちと クレオ大阪西
写真中央:白サリーが櫻井暁美

2004年 インド独立記念日を祝う舞台公演に招かれて ドーンセンター楽屋にて 舞踊集団 櫻井暁美とギータンジャリダンサーズ

2004年 インド独立記念日を祝う舞台公演に招かれて
ドーンセンター楽屋にて
舞踊集団 櫻井暁美とギータンジャリダンサーズ

2005年 交野発 国際交流の輪主催 文化プログラムにサリーショウで参加

2005年 交野発 国際交流の輪主催
文化プログラムにサリーショウで参加

2005年 愛・地球博 チーム舞台 師匠 C.V.チャンドラシエーカー師の作品「JALA」より

2005年 愛・地球博 チーム舞台
師匠 C.V.チャンドラシエーカー師の作品「JALA」より


歴代のインド総領事より、これらの活動への情熱を高く評価され
日本人のインド文化大使 AKEMI SAKURAI』
と栄誉あるタイトルをいただいている。